先日、縁あって高野山へ行って来ました。
ここには丹生都比売大神という天照大神の妹神が祀られた
神社があります。
世界遺産に登録され、重要文化財を数多く所有していますが、
知る人ぞ知るところなのか、静かで
とても美しく、清浄なところでした。
ちなみに、高野山は丹生都比売大神の山で、
その昔、狩場明神のお導きで空海が借り受けた山だという
伝説もあります。
↑山に面して神社が。
←秋篠宮さまの植樹札も。
丹生都比売大神は、諸々の災いを払い、
すべてのものを守り育てる女神であり、
穀物神として農耕を広めた神さまだそうですが、
実は人間一人一人が内なる神に開いていくことを
助ける神でもあるそうです。
本当の意味での「自信」を取り戻し、
各人が内なる神に開いていくことをサポートしてくださる
神さまがいらっしゃったんですね。
↑鳥居をくぐるとすぐに太鼓橋が。
お社は重要文化財に指定された本殿が4社並んでいるのですが、
一殿から四殿に向かって2%ずつお社が小さく造られていて、
左から眺めたときにより遠近感が出るようにわざとパースをつけて
建てられているそうです。
昔の宮大工ってクリエイター!
↑ご本殿。4殿が連なる様子を写真に収めることはできませんでしたが。。。
最近、お社の一部に江戸時代に造られた希少な建築が発見されて、
修復にストップがかかったことなど、宮司さんがお話ししてくださいました。
←宮司さん、目つむった瞬間だった><
神社のことをわかりやすく
説明してくださいました。
そう聞いて改めてお社の細部にも目を移すと、
見事な彫刻が施された柱なども素晴らしい!
日本の宮大工のすごさに、こうした建築物を見る度に驚かされます。
←宮大工の技!
丹生都比売大神のお社でなるほど~と思ったのは、
参拝者にも容易に見える一番手前にご神体である鏡が
置かれていたこと。
ご神体はご存じの通り、その神さまを象徴する神聖なもので、
神社によっては奥深くに配されていたり、
一般の人の目には触れないところに置かれていることもあります。
ところが、丹生都比売神社のご神体は参拝者に見える
一番手間の真ん中にどんと置かれているのです。
これは、天照大神を中心とするお伊勢さまのご神体が
鏡であるのと同じで、
外、または遠くにある神に祈るのではなく、
自分に秘められた内なる神を開くべく祈るのだと
より強く伝えているのではないかなぁ・・・?
と。
じゃあ、一体、自分の内なる神を開くってどんなことなの?
と、思いますよね。
このことに関して、こうである!
と一言で言うことはとてもできませんが
社会の常識や、これまで生きた中で身につけた
思い込みで固められたマインドの意識や考えを
自分だと思い込んで生きるのではなく、
もっと深いところにあるハートで感じて生きることが
ヒントになるのかもしれません。
えー? ハートで感じて生きるって???
と、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。
かくいう私も最初はピンどころかピともきませんでした><
で、いろいろ考えたりなんだりして、今思うに、
自分の人生から逃げずに、
真摯に向き合うことで自然に開かれていく心、
深いところから聞こえる愛や親切や平和に基づいた本音
――それに従って生きるということが
ハートで生きることに近づくことかなと。
そんな思いを見守り、育んでくれる神さまが
丹生都比売大神なのかもしれません。
では、内なる神に開いてハートで生きると、
人はどんなふうになるのでしょうか?
これは徐々に感じていることですが、
迷うことが少なくなっていくような。。。
急に極楽のようになって、
幸せなことしか起こらない世界に\(^0^)/
なんてことにはならないですが><
どんな時も、後悔しない選択や決断ができる力がついていく
可能性を感じます。
そして、もし、自分一人では持ちきれないようなことが
起こった時には、
なんらかの助けが自然に入ってくる・・・
ハートで生きる世界はそんなこともありなんじゃないかと。
ハートの声を聞くのには練習もできます。
というか、練習が必要かもしれません。
練習法はシンプルです。
その考えや判断、決断、選択が
一体どんな感情に基づいているのかを常に自らへ問うことです。
巧妙なマインドの、さもありなんな建前や理屈には
だまされないように、
いついかなる時も、真摯に自分に問うていきます。
その考え、行動が喜びや愛、わくわく感に基づいているならGO!
もし、怖れや否定、強いエゴに基づいているなら要再考です。
この自問自答は優等生タイプの人ほど注意が必要かもしれません。
完璧な正論が成り立っているなら、そこが疑いどころかも?
この練習はシンプルですが、
深くて、ちょっと手強いところがあるので
やりがいもありますよ。
ぽちぽちぽちっとお願いします(^▽^)♪
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